セブの概況

留学生を受け入れている英語学校の多くはセブ市、いわゆるセブシティにあります。これが留学を考える人にとっての狭い意味でのセブです。ここでは「セブ市」と呼ぶことにしましょう。

セブ市はフィリピン中部のセブ島にあり、セブ州の州都です。人口は72万人で、セブ州の中心であるだけでなく、フィリピン中部を構成するヴィサヤ諸島の中心都市です。

セブ市の周囲にはマンダウエ市、タリサイ市など6つの市と6つの町があり、これらを合わせて「メトロ・セブ」という大都市圏を構成しています。メトロ・セブの人口は230万人で、フィリピンでは首都のメトロ・マニラに次ぐ2番目の大都市圏です。

メトロ・セブはヴィサヤ諸島の政治、経済、文化、教育の中心をなす大都市圏であり、セブ市がその中心です。ですのでセブ市の本当の顔は経済都市と言えます。マリンリゾート、ビーチリゾートとしてのセブは、実は海峡を挟んで向かい側のマクタン島がリゾート地域を指します。有名なリゾートビーチやホテルなどはほとんどがマクタン島の東海岸にあり、空の玄関である国際空港もマクタン島にあります。


セブの地理

フィリピンは3つの地域に分けられます。北部のルソン、南部のミンダナオ。その間にあるのが中部のヴィサヤ諸島で、そのちょうど真中にあるのがセブ島です。セブ島は東のレイテ島と西のネグロス島に挟まれた南北に細長い島で、面積は4,422平方キロです。全域がセブ州であり、その州都がセブ市です。

セブ島は南北に細長い島で、その中心に山脈が走っています。このため、セブ市は島の東海岸に張り付くように細く伸びています。海岸から内陸に向かって山がちになっており、神戸のような地形をイメージしてもらえば分かりやすいでしょう。


セブの歴史

セブは古くから港町として栄え、中国やタイ、マレー半島や中東などとの交易の拠点の役割りを果たしてきました。

そんな歴史を大きく変えたのがスペインによる植民地化です。世界一周で有名なスペインの探検家マゼランは1521年にセブに到着しました。マゼランは当時のセブ領主に働きかけ、スペイン国王への忠誠、キリスト教の受入れを認めさせることに成功しました。しかし、マクタン島で地元領主との戦闘となり、マゼランはここで命を落とし植民地化はなりませんでした。

それから44年後の1565年にスペインは再び軍隊を送りセブを占領。セブはフィリピンで初めてのスペインの植民地となったのです。

その後、1898年の米西戦争の結果フィリピンがアメリカの植民地となり、セブもその支配下に入ります。さらに第二次大戦期には日本軍に占領されましたが、戦後はヴィサヤ地方の中心都市として発展を続けています。


セブの経済

セブ市はフィリピン屈指の経済都市です。主な産業は観光業と家具製造であり、近年では豊富で優秀な英語人材を活用して、アメリカなど欧米企業のコールセンターの進出が相次いでいます。

また、英語が使えること、アメリカと昼夜が逆であることなどを活かし、IT企業のソフトウェア作成の外注先、いわゆるアウトソーシング先としても注目を集めています。もちろん、英語を学ぶ留学生の受入れもセブの重要な産業の一つです。

セブ市はヴィサヤ地方の中心であり、多くの人が集まってきています。このため、こういった人たちを相手とした商業も盛んです。アヤラモール、SMシティなどの巨大ショッピングモールがいくつもあり、留学生を含む多くの人たちで賑わっています。


セブの交通

セブの空の玄関口は、マクタン島にあるマクタン国際空港です。日本では成田空港からの直行便があります。フィリピンにやってくる留学生が最も多い韓国との間では、ソウルとプサンとの間に直行便があり、しかも毎日何往復もフライトがあります。

マクタン国際空港は海外に対する玄関口であると同時に、フィリピン各地への乗り継ぎ空港、いわゆるハブ空港の役割りも果たしています。首都のマニラや南部のダバオ、カガヤンデオロ、中部のイロイロなど多くの都市との間に航路があります。

また、フィリピンは7,000を超える島々から成る島国であり、セブはその中心都市でもありますので、船の便も発達しています。セブ港からはボホール島やレイテ島などに毎日多くの船が行き交っています。

セブ市内の交通はタクシーと、ジープニーと呼ばれる乗合バスが主力です。セブ島の他の地域とを結ぶ長距離バスも、南北のバスターミナルから出ています。また、ごく短い距離の移動や、ジープニーが入り込めないような細い道では、トライシクルというサイドカー付きの自転車、オートバイも活躍しています。